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本町には商家が多く、呉服店も四軒ほどあった。呉服は尾道から仕入れていた。尾道の呉服問屋では「店で用事がないようなら瀬戸田へ行け、瀬戸田で売れんようだったら田熊(因島)へ行け」と言うわれるほど瀬戸田は商売が盛んなところであった。おおきな呉服店では本郷屋、吉原家、登阪家があって、登阪家が今日に続いている。また保田屋も呉服店であったがおもに木綿物を扱っていた。本郷屋は表が三軒に分割され、土蔵は酒場となった。吉原家は母屋が食堂に、土蔵が酒場に改造された。ここから瀬戸田役場に向かう路地は本町の裏通りにあたり、ささやかながらも酒場の集まる歓楽街を形づくっている。
本町の土産物屋で歴史の古いのは、創業明治二十年(一八八七)太助饅頭である。当時、生口島をはじめ周囲の因島、佐木島、大三島、伯方島ではタバコを栽培しており、秋の終わりになるとこれらの島々から瀬戸田の専売局にタバコ収納に人々が集まり、その土産物として飛ぶように売れたのが太助饅頭であった。昭和になって耕三寺ができると、この饅頭は参詣客の土産となった。また、向栄堂(胡町)が瀬戸田饅頭を、美島屋も饅頭の製造販売をはじめ、さらに万所家が日光羊羹、みかん羊羮を売り出すなどして、観光客を目当てとした土産物屋が賑わい始めるようになった。なお、本町の人々が祀る神社は、万徳寺の下にある殻神社で、ここには文化八年(一八一一)に「氏子中」が再建した鳥居や、文久四年(一八六四)に飯田屋伊兵衛が願主となった奉納した狛犬がされている。海沿いではないが、本町も近世から成立していたまちであった。
瀬戸田町史より:170ページ参照 |